2014年11月7日金曜日

吉ちゃんもおだてりゃ・・・

 断乳してもうすぐ一カ月。先日、八ちゃんが「ぱいぱい」と言ったのであげてみたら、吸い方を忘れていて、くわえるだけでにこにこしていた。赤ちゃんの時は誰に教わらなくても出来たことが、もう思い出せないんだなぁ。飲まなくなって何日で忘れたんだろう?
 夜中の授乳がなくなりゆっくり眠れるようになったので、長いこと患っていた眠いダルい病が治り、最近はほとんど毎日、八ちゃんと公園で遊ぶようになった。行きも帰りも歩くので、八ちゃんにはけっこうな運動量だ。おかげでたくさん食べるようになった。特に朝の食欲が旺盛。ミカン2個、バナナ、ヨーグルト、たまご焼、おにぎりやプチトマトをぺろりと平らげ、まだバナナを欲しがるけれど、それは我慢させる。
 吉ちゃんの宿題が早く終わったら、3人で公園へ行くことも多くなった。吉ちゃんは、鉄棒の前回りしか出来なかったので、先週、尻上りを教えてあげたら出来るようになった。出来ないことをがんばって出来るようになり、褒めてあげると子どもは本当に活き活きとした表情で喜ぶ。そして、「もっとがんばる!」と言いだす。こういう気持ちを育てることが教育である・・・と、幼稚園の副園長先生が言っていた。この気持ちさえ大切にしてあげれば、特別な事は何もしなくても自然と良い方向へ進んでくれるのだという。さまざまな教育メソッドがある中で私はこれだけを実践し、どんなことでも出来た時には大げさに褒めるようにしている。
 先日、家族で江の島へ遊びに行った帰りのロマンスカーの中で、吉ちゃんの耳がかすかに動いていることに気付いた。「今、耳が動いていた」と言うと、また、動かした。吉ちゃんは「頭に力を入れると気持ちがいいのでたまにやっていたんだけど、耳が動いているとは知らなかった」という。主人と一緒に「すごいすごい!」と感心していると、「見て!見て!」と、何度も耳を動かす。動かすたびに、前よりもたくさん動くようになっている。「初めは2ミリくらいだったのに、今は5ミリは動いているよ!すごい!」「昔だったらテレビに出て白いギターがもらえたよ」「吉ちゃんの年表を書くとしたら、『七歳にして耳が動くことに気づく』って記されるよ」などとおだてたら、「八歳の夢は、耳を1センチ動かせるようになること」だって。
 果たして良い方向に進んでいるのだろうか?


2014年10月25日土曜日

嫌いが好きに・・・

 このところ雨が続いたけれど、昨日の三時頃、雨足が途絶えたので子ども二人を連れて買い物に出た。しばらくすると再び降ってきた。夕方には止む予報だったから、雨具は持ってない。「帰ろうかな・・・でも、また止むかもしれないし・・・」と考えながら病院のそばを通りかかった時、「ここを通り抜けて、大通りに出られたら楽だ」と思いつき行ってみたが、塞がっていた。賭けに負けた気分になり、「やっぱり帰ろう」と決めた。そこへちょうど病院の車が入ってきて、子ども達に「気をつけて!」と注意して、「こんなとこ通らなければ、注意なんかしなくてすんだのに・・・。」と、すっかり落ち込んでしまった。
 すると車から降りてきた紳士が、「これ使ってください。どうぞ。」と、開いたままのビニール傘を差し出した。「いえ、大丈夫です。家、近いですから。」と断ると、「返さなくていいですから、どうぞ!」と、傘の柄をこちらに向けてくれた。まるで親戚のおばちゃんが親に内緒でちり紙に包んだお札をくれる時みたいに、「受け取るまで諦めない」という信念を感じた。
 ご厚意に甘えて傘をいただき、買物へ行くことにした。吉ちゃんはウキウキしている。文房具屋さん、肉屋さん、八百屋さん、薬局、スーパー、ケーキ屋さん・・・。いろいろ寄れた。いつの間にか、雨は上がっていた。
 今までビニール傘は嫌いだった。嵐の後の壊れたビニール傘は無惨だし、雨が止んだら壊れてなくても置き去りにされるのが虚しい。でも、「返さなくてもいい」と言われて受け取ることができるビニール傘の気軽さが、きっとたくさんの人の心を温かくしていると気付き、急に好きになった。
 翌日、ビニール傘を病院へ返しに行った。ケーキ屋さんで買ったクッキーと、さりげなく百万円を添えて・・・。(一部フィクションあり。「いえ」と「家」はダジャレのつもりではない。)





2014年10月14日火曜日

断乳~本当の地獄篇~

 断乳二日目は都庁に用事があり、外出中は八ちゃんの気を紛らわせることができた。帰宅後、生理もあってどっと疲れて横になったら、「ぱいぱい」と言って泣きながら頭突きしてきた。「がまんだよねー。虫歯がイタい、イタいになったら、いやだもんねー。」と言い聞かせていたら、しばらくして吉ちゃんが帰ってきて一緒に遊んでくれたので昼寝できた。だんだん胸が張ってきた…と思いつつ過ごしていたら、その日の深夜、今までにないほど胸がパンパンのカチカチになって、火傷みたいにビリビリして眠れなくなった。ネット検索してみたら、断乳って、一大イベントだったということが判明。「思い立ったが吉日」と突然始めてしまったが、一か月前から通院の計画を立てて、体調不良になる前に買い物など出来ることはは済ませておくとか、断乳初日はおかゆを食べて、しばらく湯船に浸からないとか、おっぱいにへのへのもへじを描くとか…。全くやってなかったことだらけ!ただ、八ちゃんにおっぱいを我慢させればいいとしか考えてなかった。乳腺炎になったらどうしよう…とか、急に不安になったが、まずは少しだけ自分で絞ってその夜は寝た。私の辛さとは対照的に、八ちゃんは寝る前に泣いたのは10分だけ、夜中も二回、少し泣いただけで、前のように激しくおっぱいを欲しがらなくなった。
 三日目は、吉ちゃんの学校の、学園祭のようなものを見に行った。主人も八ちゃんも楽しそうにしていたけれど、私は胸がヒリヒリして腕を動かすだけでも痛かったので、参加できただけで自分を褒めてあげたい気分だった。
 帰宅後、いつもなら授乳のタイミング。八ちゃんがそばに来て、「ぱいぱい?」と聞いてきた。今までは、「ぱいぱいくれ!」という乱暴な命令口調だったのが、「ぱいぱいは飲んでいい?がまんだっけ?」という謙虚なニュアンスに変わってきた。私が、「えらいねー。我慢してるんだもんねー。虫歯にならないですむねー。」と言うと、泣きもしないでそそくさと去っていった。
 一方、私の胸の痛みはピークを迎え、「やっぱり断乳は辞めようかな」とさえ思うようになった。吉ちゃんの時は、まずは昼間、我慢できる時だけ、夜中は徐々に、疲れて起きない日が多くなってきて…と、自然にフェイドアウトしたので、何もしなくても胸の痛みは全くなかった。八ちゃんだって、そんなに急に辞めなくても…。もう一度、計画を立て直そうかな。今、八ちゃんにおっぱい飲んでもらったら、めちゃくちゃ楽になる…なんて、断末魔のお叫びを聞いても全く揺らがなかったのに、自分の事情で気が変わりそうになる、ダメ母ちゃん…。ひとまず、ちょっと自分で絞って痛みを和らげた。
 夕方、頭痛がして、「そうだ!もう授乳しないなら鎮痛剤が飲める!」と気づき、主人に買ってきてもらった。約、三年ぶりの頭痛薬。今まで何度も我慢してきた鎮痛剤が、もう心置きなく飲める!解放感と薬の効果と、胸が痛むピーク時が過ぎたので、夜は元気が出てきた。八ちゃんは、私がシャワーを浴びている間に、主人の隣でいつの間にか寝ていた。いつもなら寝つく前に必ず、大泣きしておっぱいをほしがるのに・・・。


2014年10月13日月曜日

そうだ!断乳しよう~初日地獄篇~

 八ちゃんの歯科検診に行ったら、ごく初期段階の虫歯が見つかった。進行しないために、母乳を辞めるよう勧められた。歯を磨いた後、夜中に母乳を飲むのが良くないとのこと。八ちゃんを出産した病院で、「何歳までと親が決めるのではなく、子供が自然に飲まなくなるまで、好きなだけ母乳を与えましょう」と書かれた母乳育児の本を読み、そうしたいと思っていた。吉ちゃんは二歳八カ月まで飲んで、自分で「ぱいぱい、がまん」と言って卒乳したので、八ちゃんにもそうさせてあげたかった。けれど、虫歯はかわいそう・・・。やっぱり断乳するしかない。
 二歳を過ぎたころから、授乳しながら、「お兄ちゃんになったらぱいぱいは飲まないんだよ」「「八ちゃんもかっこいいお兄ちゃんだから、ぱいぱいがまんできるかな?」など、遠まわしに言い聞かせる程度だったけれど、その日から、「虫歯になったらおいしいもの食べられないよ。ぱいぱい飲むと虫歯になっちゃうって、先生に言われたよ。」と言って、一切あげなくした。初日は、昼間は泣いて欲しがっても、他の遊びに誘ったらすぐ、機嫌が良くなったが、夜は、寝る前に三十分くらい泣き続け、夜中も二回くらい長時間、泣いた。死にかけの虫みたいにジタバタもだえて、号泣している姿はまさに阿鼻叫喚。生まれてから始終、一日も欠かさず飲み続けていたものを突然辞めるのは、タバコやお酒を辞めるより、辛いことかもなぁ~と感じた。もし、八ちゃんが大きくなって薬物依存性になったら、「大丈夫。辞められるよ。だっておっぱい辞められたんだから。」と勇気づけよう…と思えるほど、壮絶な苦しみぶりだった。



2014年10月2日木曜日

電機大学跡地の白昼夢

 めっちゃリアルなオッパイが十個も付いてる巨大な、らんちゅうみたいなくじらが空を飛ぶというので、日曜日に一家で神田へ行った。大都市の空き地、旧東京電機大学跡地にて、ぷっくり膨らんだくじらのオッパイにしがみついた八ちゃんが、あれよあれよと青空へ吸い込まれていくところを想像しながらしばらく待ったのだけれど、強風のため飛行は中止になった。空飛ぶクジラの作家、パトリシア・ピッチニーニさんはグロテスクな作風とは異なり可愛らしくて綺麗な人だった。お母さんの顔になって、娘さんの髪を編んであげていたり、旦那さんが赤ちゃんを抱っこしながら息子さんとゴルフごっこしていたり、現代芸術家ファミリーの何気ないの日常を垣間見てドキドキした。娘さんも大変キュートで、マリメッコの小ちゃいポケットのいっぱい付いたワンピースがよく似合っていた。飛ばせるかどうか分からない気球と一緒に、家族で世界中を飛び回るなんていいな。気球より自由!
 夜は飛んだって、たくさんの人がツイッターで画像をアップしていた。見たかったなぁ。今度はどこで飛ぶのだろう?






2014年9月13日土曜日

夏休み中さぼってた日記

 お盆、実家に子供と三人で帰省した。主人の仕事はお盆が掻き入れ時なので、吉ちゃんが学校から持ち帰ったプチトマトの水やりをしながら、一人東京で居残り。ちょうど弟家族も揃って、一週間ほど総勢九人で過ごした。プール、映画「ドラえもん」、海、公園、花火…。父は毎日、遊びの予定を組んでくれた。母いわく、若い頃に子育てしなかった分、孫育てに一生懸命とのこと。私は八ちゃんに付きっきりなので、主人の代わりに吉ちゃんの相手をしてもらい大助かり。
 海では、去年の八ちゃんはずっと海の家で過ごしていたけれど、今年は足だけ水に入り、波に追いかけられるのがとっても楽しそうだった。吉ちゃんは、浮き袋にお尻を入れてプカプカ浮いていた。スイカ割りもした。弟家族も男二人兄弟なので、男子四人でスイカ割りの光景は圧巻だった。
 お墓参りや、施設にいる九十二歳の祖母に会いに行ったりもした。祖母は耳が遠く目も見えずらいので、突然大勢で押しかけて、誰が誰やら理解に苦しんでいたようだったが、父に、「あんた四人も孫がいて、まごまごしちゃうね」と駄洒落を言っているのを聞けて、嬉しくなった。
 みんながプールに行っている間、母に八ちゃんを見てもらい、小学校からの友達、ねーりんと五年ぶりに会うことが出来た。ねーりんの息子君はもう大学生。男子の反抗期や受験期の過ごし方、高校男子のお弁当の作り方など、色んな話が聞けた。
 最後の夜は本物のフラミンゴを見ながら食事が出来るレストラン「メヒコ」でシーフードを食べた。八月が誕生月の八ちゃんのおかげで、記念写真やケーキをもらった。二歳から九歳までの男子四人だけれど、とうとう一度もケンカしなかった。吉ちゃんは一つ年上のそうちゃんにライバル心むき出しで偉そうな口のきき方をするのだけれど、そうちゃんはどこ吹く風。
 メヒコで二年ほど前、私と吉ちゃんはフラミンゴの鼻の穴から向こう側の景色が見えるのを発見した。どうなってるのか知りたくてフラミンゴの体の仕組みを検索しても見つからない。二人だけの幻覚なのか?それ以来、フラミンゴを見ると私と吉ちゃんはいつも、鼻の穴を凝視するようになった。






2014年9月8日月曜日

八ちゃん二歳

 八月二十四日に八ちゃんは二歳になった。相変わらずおチビで、体格は一歳過ぎの赤ちゃんぐらい。でも、いろんな事ができるようになった。鉛筆を生まれて初めて持った時から、正しい持ち方ができていた。一歳ちょっと過ぎの、まだスプーンも上手に持てなかった頃だった。近頃は小さな丸をたくさん描いて、「んぶ(ぶどう)」と言ってつまんで食べる真似をする。ぶどうはずっと皮ごと食べていたけれど、この頃は皮を口から出せるようになった。ハサミも使えるようになった。紙にちょっと切れ目を入れるだけなんだけど、それが楽しいみたいで、「ちょちちょちちょちあー(ちょっきんちょっきんちょっきんなー)」と言って、1日に何度もハサミで遊びたがる。乾杯するのも大好き。「ぱっぱーい(かんぱーい)」と言って、コップ、スプーン、ドーナッツ…いろんなもので乾杯したがる。「にゃーにゃー」「わんわん」「ブーブー」など言葉をたくさん言えるのに、パパのことも吉ちゃんのことも「ママ」と呼ぶ。ベビーカーを出すと自分で乗って安全ベルトまで締めるのに、まだおっぱいを欲しがる。だいぶ大きくなったけど、まだちょっと赤ちゃん。
 誕生日はちょうど日曜日だったので、水戸の両親も上京して、みんなで八ちゃんと同じ名前のレストランでお祝いをした。お誕生記念プレートの2本のろうそくは、八ちゃんには難しかったので吉ちゃんが代わりに消した。来年は自分で「ふ~っ」出来るかな?



2014年9月2日火曜日

夏休み

 今年の暑さで時計もダリの絵みたいに溶けて、時間ってなんだっけ?早寝早起きって故事成語?何それ?ってダラダラ~っと過ごしていたら、急に涼しくなって蝉の亡骸を数えながら歩くうちに終わってしまった夏休み。自分のじゃなく子供のなのに、寂しいのはなぜ?夏休みじゃなく夏が終わるのが寂しいのかな?
 吉ちゃんは夏休みに入ってからも、サマー教室とプールに登校して、早々と七月中に宿題のドリルを終わらせた。八月に入って、吉ちゃん一人で飛行機に乗って一週間ほど徳島の祖父母の家に行き、その二日後からは主人を除く三人で水戸に一週間帰省。東京に戻り、学校の友達とプラネタリウムを見たり、幼稚園の頃の友達と東京ドームシティで遊んだり、近所の子供達とビール工場を見学したり。夏休み後半は、予定のない日は自由課題の絵本作りと交通安全ポスター描きで、殆ど毎日絵を描いていた。家族では日帰りの遊びばかりだったけれど、上野の哺乳類展、横浜のトランスフォーマー展、幕張の宇宙博、八ちゃんの誕生祝いなどに出かけ、最後の8月31日は、過ぎ行く夏を惜しみつつ谷中へかき氷を食べに行った。ちゃんとお店でかき氷を食べたのは、今年最初、そして最後かも?整理券をもらって三時間後に食べられる大人気店で、客席20席に対して店員さんは10人もいるのにみんな忙しそう。お客さんもラーメンを食べるみたい必死でかき氷を食べている。「かき氷ライブハウス」みたいな不思議な高揚感だった。催眠術にかけられたように、みんなで「美味しいね」を連発しながら食べた。


 

2014年8月7日木曜日

アタマクルクルパーマネント

 ゆとりある暮らし…そんな夢を叶えるのは、家事の合理化。まず家事動線を見直し無駄な動きをしない。例えば、収納スペース前に障害物を置かずワンアクションで物を出し入れできるようにするとか。知識はあるけれど、実際、我が家は包丁が入っている扉は手拭いでがんじがらめにされ、トンカチが入っている引出しの取っ手は革製のゴツいベルトで締め付けられ、いちいちほどかないと出し入れ出来なくてイライラする。タンスやCD収納の前にはスツールが置いてあり、どかすのに一苦労。本棚はケチな本屋みたいに本が収納用ビニールに入っていて、自分の本なのに気軽に手に取れなくて虚しい。衣類は引出しに入っている上に洗濯ネットにも入れられ、チャック開閉のひと手間を強いられストレスが溜まる。
 すべては八ちゃんのイタズラ対策。ものすごく面倒臭いけれど、だからと言ってちょっと対策を怠ると部屋はたちまちゴミ屋敷になってしまう。テーブルによじ登って飲みかけの牛乳に布巾を入れて臭い雑巾にしてみたり、DVDデッキのトレイに三枚重ねでDVDを入れて開閉出来なくしたり、Bキャスカードを抜いて録画出来なくしたり、散々探しても見つからなかった歯磨き粉は次の日にクローゼットで発見されるわ、マウスは流し台に投げ入れられるわ、真っ白な冷蔵庫はニューヨークのグラフィティービルみたいになっちゃうわ…。
 無駄だらけの動線でヒッチャカメッチャカな部屋の中、汗だくになりながら探していたのは、猛暑日に暖房に切り替えられたエアコンのリモコンと忘れかけた夢…そう…それは、ゆとりある暮らし。


2014年7月13日日曜日

朝までお喋り

 週末、りえさんが遊びに来た。吉ちゃんも主人もりえさんが大好きで、ウキウキしている。私はりえさんに会えたのと、家族が浮かれているのとでパルプテーションの嵐ですわ!夜ご飯は、お土産にいただいた相模湾で今朝水揚げされた生しらすと釜揚げしらす、さつま揚げを食べた。びっくりするほど沢山あったのに、あまりに美味しくて、瞬く間に皆で平らげてしまった。
 りえさんと私は会うといつも、ひたすら喋る。家族、友達、旅行、美味しい料理レシピ、面白いドラマ、映画、音楽、本、ファッション、原発問題、号泣議員、素敵な人、ヘンな人、芸能人の悪口、芸能人じゃない人の悪口、子供の頃の思い出、未来の話など。お互いお酒も飲まずにナチュラルハイになって喋る。その夜は、家族が寝てからりえさん持参のDVD「地獄でなぜ悪い」を見始めた。ハイな心境にぴったりで、後半は思わずブーッと音を出して吹き出し笑い。ドリフのコントみたいな、見事な馬鹿っぷりだった。りえさんは移動の疲れもあって、途中から寝てしまった。一時頃に見終わって、「面白かったな。でも、映画を見なかったらもっとお喋り出来たかな。」なんて思いながら星野源のエンディングを聴いていたら、りえさんお目覚め、嬉しい復活!布団に入って真っ暗な部屋の中、二人の間で寝ている八ちゃんをぷにぷに触りながら修学旅行の夜のように喋り続けたら五時になっていた。
 翌朝は八時に全員起床。私は、いただいたお古のギンガムチェックのワンピースを着させていただいた。「とっても似合うよ!本当によく似合う!」と連発しながら、りえさんは部屋の中でも、家の前の自販機の隣でも、スーパーの洗剤売り場の前でも、「え?こんなところで?」という場所で沢山、私を写真に撮ってくれた。お昼は、主人がぜひお連れしたいと計画していた近所の美味しい中華料理屋さんへ行き、皆で北京ダックなど頬張り、ケーキを買って家で食べ、夕方、りえさんは帰って行った。私と吉ちゃんで駅までお見送りした。主人が八ちゃんと留守番してくれたおかげで、帰り道は久しぶりに吉ちゃんと二人きりで手をつないで歩いた。祭の後みたいな、幸福感と寂しさだった。
 翌日、吉ちゃんは私に、「ママもりえさんみたいに足の爪、赤く塗ったらいいよ」と言った。



2014年6月27日金曜日

ベビーカー

 狭い店内でベビーカーを押していると、前から六十歳前後のご婦人が来られた。すれ違うほどのスペースがなかったので、私は手前で曲がったのだが、その方はベビーカーが来る!ぶつかる!どこへ逃げよう!と焦ったのだろう、私が曲がり終わった後に、「ああああ~」と声を出してのけぞり、バリボリバリ…と後ろに積んであったインスタントラーメンの山にお尻を付いてしまった。ベビーカー、恐るべし!
 その店を出てすぐ、白い杖の男性がパチンコ屋の前に停めてあるたくさんの自転車の隙間を縫うように歩いているのを見かけた。何か勘違いされて、思いがけない場所に迷い込んでしまったのかな?と心配しながら、ただ見ていた。ベビーカーを押していなければ、すぐに近寄って声をかけたかもしれないが、段差があるし、ベビーカーの通れないような隙間を歩かれていたので、戸惑いながら見ていた。するとその男性は、パチンコ屋の入り口までたどり着くと平然と入店された。目の不自由な方はパチンコをしないし、狭いところは歩かないと、勝手な先入観を抱いていた自分に気づいた。ベビーカー、ありがとう!

吉ちゃん作:ちくわをにぎる八ちゃん

2014年6月18日水曜日

徳島へ

 週末、一泊二日で徳島の実家に帰った。八ちゃんは初めての徳島、飛行機も初めて。往復ともおりこうさんに過ごしてくれた。機内でいただいたリンゴジュースを、初めてストローを使って飲んだ。最初はなかなか吸えなかったけど、すぐコツをつかんで上手に飲みだした。生まれたばかりの時も、初日から上手におっぱいを飲んで看護師さんにほめられたっけ。
 実家には吉ちゃんと同じ年頃のはとこのお友達など、親戚も大勢遊びに来てくれて、庭でバーベキューやスイカ割り、花火を楽しんだ。昼間に自家農園で採れたばかりのズッキーニがとても水々しくて美味しかった。八ちゃんは、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃん、叔父さん叔母さんに会うのも初めてだった。吉ちゃんが二歳前後の頃は人見知りが激しく、初対面の人とは目を合わせられず、眼鏡の人と若い男の人の顔を見ると大泣きしていたけれど、八ちゃんは人懐っこくて皆に遊んでもらえた。93歳のひいおじいちゃんが、「八ちゃんは8月24日に二歳になるか!」と、誕生日を覚えていてくれたのがとっても嬉しかった。年を取ると記憶力でこんなに人を感激させられるなんて、なんかワクワクする!
 翌朝、普段は寝坊助の吉ちゃんが、自ら5時に起きて野菜の収穫を手伝わせてもらった。お昼にお母さんが作ってくれた、朝採りいんげん豆の天ぷらが柔らかくてとっても美味しかった。




2014年6月13日金曜日

グソクムシウインナー

 吉ちゃんの遠足の前夜、夜中十二時過ぎに帰ってきた主人とパソコンをやりながら話しているうちに、ウィンナーで作ったグソクムシ(深海の巨大なダンゴムシ)の画像を見つけた。丸まった背中やピンと伸びた触覚、うじゃうじゃ細かい足などグロテスクなほどリアルに出来ていて、作り方まで載っていた。「これを明日の弁当に入れてあげたい。きっと吉ちゃん喜ぶ!」と主人は大興奮し、二人で作り始めた。細かい切り込みを入れるのに苦労して中々うまくできず、焼いては修正を何度か繰り返し、二時頃にようやく完成した。私は力作を一匹だけ、主人は型崩れしてもはやムシと呼べないもの(かつてグソクムシと呼ばれていたウィンナー)を五匹ぐらいと、ダイオウイカと命名したタコさんウインナーを完成させた。
 主人は自分の作品をそっちのけで、私が作ったのを何枚も写真に撮っていた。たとえ、やたら切り込みが入ったぐちゃぐちゃでも、夜中に愛情込めて作ったんだから、記念に撮ればいいのに…と思いつつ、勝ったような気がして何だか気分が良かった。結局弁当箱のスペースの都合で私の一匹と、主人のダイオウイカ一匹だけお弁当に入れた。
 「ビックリしたかな?友達になんて言われたかな?女の子は嫌がったかな?」などワクワク想像しながら吉ちゃんが遠足から帰ってくるのを待ち、いざ感想を聞いてみると「おいしかった」と、形より味の第一声だった。友達の反応を聞くと、最初に食べちゃったから誰にも見せられなかったと、残念そうに話した。にんまりしながら箸でグソクムシをつまんで観察し、そのままパクリと食べた吉ちゃんの姿が目に浮かんだ。
 その夜遅くに仕事から帰ってきた主人が「会社であのグソクムシウインナーの写真を見せたら皆、驚いていた」と言いながら、「すごい!」「感動!」など絶賛されたメールのやり取りを、誇らしげに見せてきた。すると、私の力作はちゃっかり主人が作ったことになっている。自分の作品を撮らなかった訳はこういうことか!このペテン師!詐欺師!!
 それから夫婦喧嘩が勃発したのは言うまでもない。




2014年5月28日水曜日

運動会で大活躍

 自分が子供の頃は運動会や学芸会などはあまり緊張しなかったけれど、子供の運動会はドキドキする。からあげ、玉子焼き、タコさんウィンナー・・・お弁当は定番メニューと決まっているけど美味しく作れるかという以前に、出発に間に合うように完成するかドキドキする。主人が玉子焼きを作りたいというので、狭い台所はてんやわんや。お弁当はどうにかヘマしないで出来たけど、朝から吉ちゃんに赤っ恥をかかせてしまった。運動会当日の服装のは、体育着・紅白帽(登下校は普段着)の、格好内を読み落として伝えてしまったのだ。友達に会って紅白帽で登校するのは自分だけと気がつき、急いで家に戻ってきた。吉ちゃんには責められなかったが、自己嫌悪に陥った。
 旗を振りながらダンスする演目では立ち位置を間違えてひとり慌てて駆けずり回る吉ちゃんの姿を、面白いのが撮れるとばかりにビデオ撮影に没頭していた私の傍らには、感涙にむせび泣きしていた大男がいたという。誰あろう主人である。こっちの方が面白映像だったのに、気づかず残念。
 大玉転がしでは玉にほとんどさわらず、50m走は四人中三位。でも今年の吉ちゃんはめっぽう輝いていた。全校生徒に配られたプログラムの表紙に吉ちゃんが描いた絵が選ばれ、知人に会う度に褒めてもらえた。なんとも吉ちゃんらしい活躍の仕方だった。


運動会プログラム表紙絵


2014年5月23日金曜日

初めての散髪

 あと三ヶ月で二歳になる八ちゃんを、初めて散髪に連れて行った。吉ちゃんは生後八ヶ月目に、徳島で床屋さんの親戚に胎毛筆を作っていただいたので、八ちゃんにも作ってあげることにした。近所では胎毛筆を作ってくれるお店が見つからなかったので、電車で二つ隣の駅まで行った。
 駅から地図を見つつも迷ってしまった。炎天下、疲れたと言う吉ちゃんを、主人は肩車して歩いた。徒歩15分程のはずが、小一時間かけてようやく住宅地にある小さなヘアサロンにたどり着いた。鋏でちょきちょきされてもバリカンでガーガーされても、八ちゃんは借りてきた猫、というか猫の剥製みたいに、泣くどころか微動だにしない。その様子は吉ちゃんの時とそっくりだった。怖いのか、不思議に思っているのか、何も考えていないのか、全く読み取れない謎の表情。
 昨夜は「髪の長い八ちゃんを見る最後の夜」、今朝は「髪の長い八ちゃんを見る最後の朝」と、女の子みたいな八ちゃんを名残惜しく見ていたけど、坊主がとっても似合っている。お地蔵さんみたいな頭、牛皮みたいに透き通ってプニプニした耳、人さし指で撫でたくなるぼんのくぼ、、この愛くるしさを今まで髪の毛で隠していたとはたいそう勿体無かったと、幸福な後悔を味わった。
 「思い切って坊主にして本当に良かった!中途半端な髪型じゃつまんないもんね。」と私が言うと、「そうだね。でも坊主にしてなかったら、『坊主なんかにしないで本当に良かった』って言ったんだろうね。」と、幸福なたられば論を主人が言った。


2014年5月21日水曜日

ゴールデン風ウィークエンド

 10日の土曜日「ゴールデンウィークが終わってやっとゆっくり休める」と、主人は世間に逆行することをつぶやきつつ、ゴールデン風に楽しんだ。第二土曜日は月に一度の授業参観だったので、主人は朝から、吉ちゃんの友達と一緒に登校。自由な時間帯で参観できるが、朝から行く親は殆どいない。おかげで校長先生に話しかけてもらえて喜んでいた。主人は参観に行くといつも、周りの友達に「吉ちゃんをよろしくね。何かあったら吉ちゃんを助けてね。」と声をかけているらしく、私が釘を刺しておかなければ粗品を配ったり、吉ちゃんと気が合わない子には文句を言ったりしそうな勢いで“吉ちゃんよろしく運動”にいそしむ。主人の様子も気になるので、私も八ちゃんと途中から見に行ってみた。吉ちゃんも主人も、問題なく穏やかに過ごしていた。
 主人は、学校が終わって午後から遊園地や動物園やスカイツリーに行きたいと言ったが、そういうところは朝から行かないと勿体無いとことごとく反対すると、「釣りに行きたい。」と言い出したので、「八ちゃんも危なくない、家族皆で楽しめるようなところじゃないと嫌だ。」と注文をつけたら、釣船茶屋ざうおへ行くことになった。吉ちゃんは釣りは初めてだったが、10分くらいで鯛を二匹釣り、活き造りと塩焼きにしてもらった。八ちゃんは、店内に大きな船があったり魚が泳いでいたり、いつもと違った雰囲気に大興奮。両腕を前に伸ばしたり曲げたり、船を漕ぐような手振りで歩き回っていた。これは嬉しい時の歩き方なのでハッスル歩きと命名。
前から欲しかったブルートゥーススピーカーやiPadカバーなど買い物して、サーティワンでトリプルを2カップ買って帰った。お風呂から上がったら八ちゃんは寝てしまい、三人でゆっくりUNOをして遊んだ。
 日曜日は、午前中に主人と吉ちゃんで近所のプールへ行った。お昼はのど自慢を見ながら、歌い始める前に「この人合格」「この人は鐘ひとつ!」と予想するゲームをしながらシーフード焼きそばを食べた。
 午後から主人はまた仕事に出かけた。


2014年5月12日月曜日

ゴールデンウィーク

 主人はゴールデンウィークに休みが取れないので、水戸の両親が遊びに連れて行ってくれた。4日は芦花公園へピクニック。皆で柏餅を食べた。吉ちゃんは桜餅と間違って葉っぱごと食べていた。八ちゃんは花畑から徳富蘆花が住んでいた家まで歩いた。靴を履いてこんなにたくさん歩いたのは生まれて初めて。今まで自転車しか乗ったことのない人が初めて飛行機で旅をしたぐらい、飛躍的な距離だった。吉ちゃんと私に両手を繋がれて捕らわれた宇宙人みたいだったけど、ニコニコ嬉しそうに歩いていた。帰り道、世田谷文学館に寄った。両親と八ちゃんにはロビーで遊んでいてもらい、私と吉ちゃんで茨木のり子展を見た。昔、金八先生から教わって以来、ずっと気になっていた。詩人として大成して五十歳を過ぎてから韓国語の勉強を始めて翻訳もするようになったなんて素晴らしい。夜は芦花公園駅近くのイタリア料理店で夕飯を食べた。春菊のサラダがたいへん美味しかった。
 5日は高尾山。父と吉ちゃんは歩いて標高500mまで登ることに。母と八ちゃんと私はケーブルカーに乗って、キッチンむささびで天狗焼きを食べながら二人を待った。別れてから小一時間後に二人到着。吉ちゃんはなぜか父の荷物まで持って登って来た。そして30センチのソーセージが乗った天狗ドッグ をぺろりと平らげた。雲行きが怪しくなったので頂上までは行かず、下山してお蕎麦を食べて帰った。
 八ちゃんは、高尾山は三回目。初めはテラスのテーブルの上に仰向けになって、寝返りも打たずに寝ていたのが、今回はちょこまか歩いて追いかけるのが大変だった。



2014年4月28日月曜日

ムーミンとグソクムシ

 日曜日、朝から家族で銀座松屋のムーミン展へ。トーベヤンソンの原画は意外なほど小さく、「芸能人の顔って、実際に見るとすごく小さいのね~」ぐらいの衝撃。吉ちゃんに「この二人はトフスランとビフスラン」「ティーティウーという名前はスナフキンに付けてもらった。ティーティって楽しそうな響きから始まって、ウーって哀しい感じで終わるのが素敵だって、ティーティウーは気に入っている」など、説明するのが楽しかった。鳥羽国際ホテルのランチョンマットの落書きが息が止まるほど素晴らしかった。
 ランチは築地まで足を伸ばし、廻るすしざんまい。ついでに本願寺へ初めて行ってみた。その後、二子玉川へ行くのに自由が丘で下車したら、改札を出て吸い込まれるように珈琲専門店へ入った。主人は「こういう店のコーヒーはめちゃくちゃうまい」と言いながら、注文したアイスカフェオレにガムシロップを最初からどくどくと注いで一気に飲みほし、「やっぱり違うなぁ~」と一言。ガムシロップの、違いのわかる男。ジュース類がなかったので、吉ちゃんもアイスカフェオレを頼んだら飲みきれなくて、別のものを飲んでいた私にくれた。同じく主人にガムシロップを大量投入されていたので「甘い!」と文句ともつかぬ感想をもらすと、「飲みたい!パパにちょうだい」と主人。「パパは太るからダメ」と吉ちゃん。すると主人は魔太郎ような目で私を睨み付けて、「ちょうだい…ちょうだい…」とつぶやき続けたので、仕方なく譲った。
 二子玉川では本日のメインイベント、高島屋の深海大図鑑展。吉ちゃんは巨大ダンゴムシのようなダイオウグソクムシのホルマリン漬けを見て嬉々としていた。高島屋の屋上は広々とした庭園になっていたので、芝生で八ちゃんを遊ばせてあげた。斜め上を指差して仁王立ちする八ちゃんは、大使を抱いているようだった。そして、何度も芝生をむしって風を読んでいた。末は博士かプロゴルファーか?
 夜は下高井戸のせい家でラーメン&餃子&ネギ飯。芦花公園で下車してアイスを買って、サザエさんがやってる時間に家に着いた。
 主人はゴールデンウィークは全て仕事なので、これが連休のレジャーの代わり。




2014年4月25日金曜日

本の家

 児童文学作家の岩崎京子先生のご自宅「本の家」へ、先月お借りした本を返しに行った。一度目は友達に連れて行ってもらったおかげで、二度目の今回、方向音痴の私は10分で着くところを30分歩いてもたどり着かない。それでも、うららかな日差しの中、迷子気分を心地良く味わっていたのだが、吉ちゃんが6冊も本を抱えてヒイヒイ言っているので、親切そうなご婦人に道を聞いた。あともうちょっとのところだった。惜しい。
 本の家では、私の母よりちょっぴり先輩かとおぼしき年代の女性スタッフが数人いて、「どこから来たの?」「赤ちゃん抱っこして歩いて来たの?よく来てくれたねえ」などと気さくに話しかけてくれた。「自力で来たのは初めて」と言うと、「ジリキ!わはははー」とウケてくれて、学校の本を一冊持って来たことに気づき思わず小声で「やっちまったな!」と言ったら、「あ!それどっかで聞いたことある!なんだっけ~?テレビで聞いたなぁ~」と盛り上げてくれ、それがとっても温かくて懐かしい感じ。子供の頃、ばあちゃんちに遊びに行ったら、親戚のおばちゃん達が集まっていて、私がどんなにぶっきらぼうにつまらないことを話しても、満面の笑みで相槌を打ってくれる、あの感じに似ていた。
 この間は岩崎先生ご本人もいらして、一緒に折り紙をして遊んでくださった。開館は毎週水曜日に二時間だけ、本はいつ返してもいい。もう四十年以上もご自宅でこんな活動をされている岩崎先生、憧れちゃうなぁ~・・・




2014年4月21日月曜日

ポポタムへ

 風木一人さんと斎藤雨梟さんのふたり展「ふしぎなトラのトランク」を、吉ちゃんと二人で目白のブックギャラリーポポタムへ見に行った。八ちゃんと主人はお留守番。吉ちゃんは小さい頃からギャラリーや美術館で行儀良く、私が帰ろうと言うまで自分なりに楽しんでくれる。ポポタムでも、芳名帳に熱心にトラの絵を書いたり、小さな椅子に座って風木さんの本を次々に読んだりして過ごしていた。風木さんの本をたくさん買った。「いっぱいいっぱい」「わーらった」「にっこりにこにこ」は、今の八ちゃんにぴったりの本。家に帰って読んであげたら目を輝かせて嬉しそうに、何度も読んでとせがんできた。寝る前には、吉ちゃんと八ちゃんに、かっこいい山口マオさんの絵の「はっぱみかん」を読んであげた。「ながいながいへびのはなし」は明日にとっておくことにした。かわいいカワシマミワコちゃんの絵の「ぼくはあやまらないぞ」は、もう持っていたので買わなかった。「青のない国」は自分一人で、電車の中と布団の中で読んだ。青い色をこんなに美しく物語る本、他にあるのかしら?「ふしぎなトラのトランク」は、吉ちゃんと八ちゃんの為書きでお二人からサインを入れてもらった。ふたり展とは関係ないけど、大好きな山元かえちゃんの「ぼうしのおとこ」と、吉ちゃんがとても欲しそうだったので「むしくいさま」というパラパラ豆本も買った。吉ちゃんはたいそう気に入って、帰りの電車でも家に帰ってからも、ずっとパラパラしていた。
    ギャラリーで偶然、たかしまてつをさん&あやさんご夫妻に会えた。たかしまさんに「吉ちゃんは小学二年生だけど、私が買ってあげないものだから、『小学一年生』という雑誌をまだ繰り返し読んでもうボロボロになっている」と話したら、「お気に入りの本があるのは素敵なこと。ボロボロになった『小学一年生』を、大切にとっておいてあげて」と言われた。私のケチな話を、あたたかい話に変えてくれるたかしまさん、ニクいぜっ☆


 翌朝、八ちゃんが自分の服が入っている箱を、誰に教わるでもなく勝手に椅子にして、ひとりで「わーらった」を読んでいた。ここは八ちゃんだけのお気に入り読書スペース。


2014年4月17日木曜日

ギャップ萌え?

    春休み、吉ちゃんは一人で飛行機に乗って徳島の祖父母の家に遊びに行った。去年の夏に続いて二回目だったので、一人旅でも全然緊張しなかったみたい。羽田でも徳島でも空港まで送迎あり、機内でも特別にサポートを受け、まあ心配ないかぁ〜・・・とはいうものの、私はまだ一人で飛行機に乗ったことがない。幼少から雲の上で一人の時間を味わっているなんて、きっとかっこいい大人になるわぁ〜
 ・・・てな親バカ妄想をふくらましていたら、先日の深夜、吉ちゃんがおもむろに起き上がったと思ったら中腰になって唸り出した。「ウンチ?ウンチならトイレ行って!」と声をかけても動こうとしない。ただの寝ぼけ?と思うや否や、ジョボジョボとオシッコを始め、まだ中腰で唸り続けている。「なーにやってんの!!ウンチも出る?早くトイレ行きなよ!」と大声で怒鳴ったら、ようやくハッと気づいてトイレに走った。布団はセーフだったけど、パンツもパジャマも捨てるより他なく、便座も大惨事だった。大泣きする八ちゃんをおんぶしながらのトイレ掃除は窮屈だわ腰は辛いわ、いつの間にか泣き止んだと思ったらトイレットペーパーを引き伸ばして遊んでいるわ・・・ほとほと地獄だった。
    一人旅ができても寝糞する男児は、かっこいい大人になれるだろうか?